感動・泣ける体験談BBS

成人式 1名無しさん時計01/12 10:06電話3au性別:秘密返信

成人式の為に買ってもらったスーツを着てかっこいいと言われ、何枚も写真を取られ
車で会場まで送ってもらい
「友達と飲むだろうけど、イッキなんてしたらいかんよ?
 遅くなるだろうから気をつけて帰ってらっしゃい」
そう言われた後一人で会場を一周し、中に入ることが出来ず
友達と飲みに行くことになっている手前、
そのまま帰ることも出来ず夜まで時間つぶすためにその足でスロット店へ行き
親からもらったお年玉を使い切るのに2時間も持たず銀行から下ろした8万も消え
どうしようもなくなって、夕方頃に家に帰り人が多すぎて友達と会えなかったと言う俺に
母さんは、じゃあ夕飯ちゃんとしたもの作らなきゃねと言い俺は震えて声も出せないほど泣いた。

4かおり時計01/14 00:04電話3au性別:女

地下鉄の中チキン誰ですか中身だけつけま(^O^)

3時計04/10 07:11電話3DoCoMo性別:中間

アホだぎゃ

2マメ時計03/09 23:13電話3DoCoMo性別:秘密

泣ける涙

野球楽しかったよ 1名無しさん時計01/10 13:48電話3DoCoMo性別:秘密返信

幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。学もなく、技術もなかった
母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた
土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。

娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに
遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。

ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初めての
プロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。母がもらったのは
招待券ではなく優待券だった。チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わ
なければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外の
ベンチで弁当を食べて帰った。電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。

俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せて
やることもできた。

そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように
「野球、ごめんね」と言った。俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。

2泣いてます時計08/08 00:24電話3DoCoMo性別:男

同様な幼少期を過ごしたので共感します。

慰めに来た猫 1りば時計09/22 20:54電話3pc性別:秘密返信

「慰めに来た猫」

2年前の夏の話。
その日塾の迎えの車でオトンがゆずを轢いてしまったと言った。
ゆずは家で飼っていた猫で、猫とは思えないほど人なつっこい頭の良いネコだった。

ゆずが死んだ??
1時間半前に触ったばっかなのに??

突然の死を理解するのは難しかった。
家に着いたが、家に入る気にもならず、家の近くの石段に座ってぼーっと夜空の星を眺めてた。
段々と死の意味が分かり、悲しくなって涙が流れた。星を眺めて泣いた。

すると、視界の隅っこにフワフワした物が見えた。
まるでゆずが近づいてくるときにゆらゆらさせてたシッポみたい…
ハッとして地面を見ると何もいない。

そうだよな…ゆずはいない。

そう思って、空を見上げると、やっぱり視界の端っこにシッポが見えて。
しかもゆっくり近づいてくる。
全然恐怖は感じなかった。

シッポは私の足元まで来て、いつもみたいに体をスリ寄せてきた。
確かに温かかった。

同時に、スッと悲しみが消えた。
ゆずも消えた。
涙はもう出なかった。

ゆずは轢死する2日前からいつにも増して甘えてて、一瞬一瞬を大事に生きてる感じだった。
今から思えば、死ぬのが分かってたんかな?
短かったけどあんなに優しいネコと過ごせたのは、私の大切な思い出です。

2まりん時計09/22 00:48電話3au性別:女

私も猫飼っていたのでよくわかります
涙でました
きっと天国に行かれたんですね涙ぽろり(ネコ)

母さんからのメッセージ 1名無しさん時計01/10 13:48電話3DoCoMo性別:秘密返信

俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。
それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにぐれた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・

病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。
俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。
そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。

2名無しさん時計08/20 02:39電話3DoCoMo性別:秘密

こういうの大好きです

茄子のあんかけ 1名無しさん@お腹いっぱい時計10/20 21:42電話3pc性別:秘密返信

うちは母親の得意なおかずがナスを炒めてあんかけにしたやつだったんだけど、確かに美味しいんだけど弁当のおかずにされるのは恥ずかしくて嫌だったんだ。
見た目がどうもね、良くなくてさ。
でも嫌だとは言えず週に3・4回は食べてた。

成人して間もない頃に母が死に、まだその死の実感が湧かないうちに上京して、食費浮かそうと思って弁当生活始めたんだけど、どうしてもあのナスが食べたくてさ、アレがないと物足りないんだよね。

でも作れないんだよね、おんなじように。
そん時ふと「あ、おかんに訊いたらええんやん」と思ったんだ。
で、やっと実感したんだよね、母はもういないんだ、訊けないんだ、って事。

味の違うナス弁当に詰めながら顔パンパンに腫れるまで泣いた。
仕事の昼休み、食べる時にもまた泣いてしまって、他の人を困らせた。

上京して10年、ようやく母の味に近づいてきたけど弁当のおかずにはその日以来一度もしてない。
弁当にナス炒めは私にとっては切ないメニューだから。

3時計07/05 04:36電話3DoCoMo性別:男

ヤバイ。涙がとまらん

2時計12/18 06:38電話3i性別:秘密

泣かすなや泣き顔

届かなかったメール 1名無しさん時計01/10 13:41電話3au性別:秘密返信

去年3月に定年を迎えた父に兄と私で携帯電話をプレゼント。
退職前は携帯などいらんと言っていたがうれしそうだった。
使い方に悪戦苦闘の父に一通り教えてまずメールを送ったが返事はこなかった。
その6月に脳出血で孫の顔も見ずに突然の死。
40年働き続けてホッとしたのはたったの2ヶ月。
葬式後父の携帯に未送信のこのメールを発見した。
最初で最期の私宛のメール。私は泣きながら送信ボタンを押した。
私の一生の保護メールです。

「お前からのメールがやっと見られた。
返事に何日もかかっている。
お父さんは4月からは毎日が日曜日だ。
孫が生まれたら毎日子守してやる。」

 父さん、おつかれさま。そして、ありがとう。

ばあちゃん 1名無しさん時計01/10 13:40電話3au性別:秘密返信

俺は小さい頃、家の事情でおばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地にきて間もなく当然友達もいない。
いつしか俺はノートに自分が考えたスゴロクを書くのに夢中になっていた。
それをおばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み〜」
おばあちゃんはニコニコしながら、「ほーうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。
それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。
やがて俺にも友達ができ、そんなことも忘れ友達と遊びまくってた頃
家の事情も解消され、自分の家に戻った。
おばあちゃんは別れるときもニコニコしていて
「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」
と喜んでくれた。

576 えっちな21禁さん sage 04/06/11 19:06 ID:ls3hIhCP
先日そのおばあちゃんが死んだ。
89歳の大往生だった。
遺品を整理していた母から「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみみるとそこにはおばあちゃんの作ったスゴロクが書かれてあった。
モンスターの絵らしきものが書かれてあったり、なぜかぬらりひょんとか
妖怪も混じっていた。
「おばあちゃんよく作ったな」とちょっと苦笑していた。
最後のあがりのページを見た。
「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に
「義弘(俺)くんに友達がいっぱいできますように」

人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
おばあちゃん、死に目にあえなくてごめんよ。
そしてありがとう。

産まれてきて良かった 1ゆりたん時計11/30 17:16電話3i性別:秘密返信

私は一度高校の時停学処分になったことがある。
罪を擦り付けられて…部活の顧問に呼び出された。部屋に入ったとたんに殴られ蹴られ私は死ぬかもと思った。
他の先生が止めに入って私は帰された。
頭の中では
「3年間高校のPTA会長してる親父の努力を私が水の泡にしたんだ…
あたしが死ねば、許してくれるのかな…」
とか考えてたら、ドラッグストアで頭痛薬を大量に買い込んでた。
母が買い物に出たのを確認して、薬を一気に飲み込んで、親父の焼酎を飲んだ。意識が薄れ、母の泣きながら「しっかりして」と叫んでる声が聞こえた。
次に気付いたら病院のベッドの上で沢山の管が鼻から口から出ていた。
両親は私を責めることなくただ話を聞いてくれた。
父の説得で私は学校にも通い、卒業後就職もした。

その後彼氏との間に子供ができた。19歳の時だった。
警察官の父、絶対怒ると思ったら喜んでくれた。
エコー写真を見て終始笑顔だった。

産まれた子供は男の子。
私は姉二人の3人姉妹だったから待望の初孫&男の子に父は大喜び。
二年後女の子を産んだ時も喜んでくれた。
そして、3ヵ月後、父が亡くなった。
心筋梗塞だったそうだ。
救急車を呼ぼうとした母を父は止めて、母の手をしっかり握り、息絶えたそうだ。
お通夜には沢山の人が来てくれて、500用意してた香典返しが底をついて、葬式にも200人をこえる人が来てくれて、父の人望の厚さに涙が出た。
その後、葬儀も終わり、姉二人と私、母の4人で夜中に話をしていた

母が
「あんた達に話さなきゃいけない事があるのよ。もう時効だからね」
と言ってきた。
「実はねあんた達の下にもう一人兄弟が居るのよ。
ゆりたんが十歳くらいのとき、お母さんのお腹に赤ちゃんができたの。
でも、家を建てることも決まったあとで、お姉ちゃんは高校に行く年になってたし、堕ろしたのよ。」
母が泣いていた
「時効なんか無いよね…許されることじゃないの…」
沈黙のなか長女が口を開いた
「許されないだろうけど、あたしは攻める気にはならないよ。むしろ話してくれて有り難う」
私と次女も頷いた。

子供たちの成長を見ていると、お父さんに見せたかったなって思います。
お父さんは天国で見てるかな?
あなたの娘に産まれてきて良かったよ。

2かな時計12/18 06:37電話3i性別:女

感動しました。あなたのお父さんもきっと天国から見守ってくれていることでしょうわーい(嬉しい顔)

パパの成績は? 1けいた時計09/22 20:51電話3pc性別:返信

今日は息子の7歳の誕生日。一人息子だから甘やかせ過ぎたかなって自分でも思う今日この頃冷や汗
私達は親子水入らずの二人暮らし。妻は息子を産んでまもなく亡くなった。乳癌と闘いながら愛息をこの世に残して、私に託した妻はきっと心配でたまらなかっただろう。
妻が亡くなってからは悲しむ暇などなくて毎日が戦争だった。慣れない家事に新米パパの育児は激務だった。夜泣きをしてもなかなか寝付かせてあげられなかったし。私が消防官ということも尚一層これらを難しくしました。毎日毎日の悪戦苦闘と試行錯誤を交えてやっと7歳。だいぶ私の手を離れて息子はたくましくなった。
先日、一学期を終了し、持ち帰った成績表に先生からこんなことが書かれていました…。
「毎日お父さんの様な強くて優しいレスキュー隊員になるんだって休み時間を外で元気に遊んでいました」って。
自分なりには頑張ってきたつもりだけど、なんだか息子から辛うじて合格点をもらったみたいで嬉しかったよ。今年のお盆は成績表を持って、妻に報告がてらお墓参りですウッシッシ

1りば時計09/22 20:54電話3pc性別:秘密返信

もぅ1つ。

「犬」

今家にいるワンコは保護施設からひきとったワンコで。
最初は人間不信だったけど、今はもう普通の犬になって、悪さをしたり笑いもする。


で、私は昔からツラい気持ちを隠す人で。
怒りとかはモロ出るがツラい気持ちだけ。


どんなにツラくても押し殺して普通に生活してる。


家族も友達もきっと全然気づいてない。
おかんに至っては「あんたはなんでそんなに気楽なん?」と呆れる始末。


それで良いと思ってる。


だけど


ワンコだけは気づいてる。
ツラい日に限っていつにも増して甘えてきて、一生懸命シッポ振って、私より悲しい顔をする。


そのたび
あぁ
この子は大事にしなきゃなぁ
と毎回思う。

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